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2011年3月

2011/03/19

STOP PANIC BUYING

スケダチの高広伯彦さんが「STOP PANIC BUYING」というポスターを配布しています。

いわゆる「買いだめ・買い占め」に対する自制を促すポスターを配る運動です。

例えばこんなのです。
Stop_panic_buying


関西では首都圏で起こっているような「買いだめ・買い占め」はありませんが
いつそういう事態が起こるやもしれません。
少しでもそうならないために、ブログに掲載することにしました。

下記のPDFは色んなバージョンのポスターが見れます。
是非見てみてください。

意味のない「買いだめ・買い占め」はしないように
自制したいと思います。

● STOP PANIC BUYING (pdf)
http://files.me.com/noritakahiro/ng5148

(ダウンロードしてください)

以下は高広さんからのメッセージをです。


地震から一週間が経ちましたが、皆さんは普段の生活に戻られましたでしょうか?
阪神淡路大震災を目の当たりにした自分としては、一日も早い被災地の復興を祈るばかりです。

さて、数日前より facebookページをベースにしながら、「STOP PANIC BUYING」という
簡単なポスターを配っています。

いわゆる「買いだめ・買い占め」に対する自制を促すポスターを配る運動です。

facebookページ
http://www.facebook.com/STOPPANICBUYING
※facebookに入ってなくても、ログインしなくても見れます。

STOP PANIC BUYING (pdf)
http://files.me.com/noritakahiro/ng5148

非甚大被災地外で起こっている、買いだめ・買い占めの実際は、

[都内で買い占めが起こる]→[被災地に物資が行かない]、というよりも、

[被災地優先で物資が行く+一部流通量が減っている]→
[店頭に商品が少量しか入らない]→[すぐに商品がなくなる]→
[店頭に商品がないように見える]→[少しだけしかない商品をみて焦って買ってしまう]
→[買い占めてるように見える]、です。

また、このような状況なので、「ちょっと多めに買っておこう」という気持ちの人が増えてしまうと、
例えば10人がいつもより10%多い買い物しただけで店頭から在庫が消える、、、
ということもありえます。


立ち上げ趣旨を書いておくと:

(1)非甚大被災地域での「足元」の混乱を防ぐ~そのなかの一つとして
   買い占め・買いだめに対する意識を高める、ということももちろんありますが、

(2)非甚大被災地域の人たちの「何かをやりたい」というキモチを昇華すること、

(3)自分で店舗に足を運ぶことでナマの情報を聞いて理解すること、
   他、にあります。

貼り出し先は必ずしも店舗だけとは考えておらず、マンションの掲示板・職場・学校などでも
構わないと思ってますので、surveyml参加の皆さんで「買いだめ・買い占め」が気になる方が
いらっしゃいましたら、ぜひお使いください。


高広伯彦

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2011/03/13

出張難民となった長い1日③

12日(土)早朝、JR線が動き出す情報を入手。
しかしゆりかもめはこの日、終日運行を見合わせ。
りんかい線の運行情報が全く入ってこないので、身動きが取れなかったが
ホテルのロビーでりんかい線が国際展示場から新木場まで折り返し運行
をしている情報を入手。 早めに移動する事にした。

朝、7時過ぎ待機所を出発。
比較的スムーズに新木場まで移動。 
そこから有楽町線で有楽町駅に到着。(7:40頃)
当初AM8時から山手線が動き出すと聞いていたが、
有楽町駅で山手線がいつ動くかまだわからない事が判明。
 
東京によく来ていたとは言え、土地勘はプアーで全くのアウェイ。
さあどうする?
そのまま新幹線に乗って帰るなら、東京駅まで歩こうかと思っていたが
なんと荷物を大崎のコインロッカーに置いたまま・・・。 
「ああーなんてことでしょうcoldsweats02」 

とりあえずツイッターやメールなどで有楽町から大崎までの行き方を募る。
この日、ケータイも繋がりやすくなり、大阪のイズミソにも情報連絡のやりとりを行う。

しばらくするといくつかの情報が・・・。
とりあえず、1駅歩いて新橋まで移動する事にした。

新橋駅到着後、京浜東北線が復活したとの情報が・・・。
早速、新橋駅に乗り込むが、ホームに人が溢れかえっていた。
しかも来た電車が満杯で全く乗ることが出来ず。
1本乗り過ごしたが、それでも全くダメだった。(この時点で1本30分待ち)

計画変更でJR新橋駅から都営浅草線で五反田まで移動する事に。
都営新橋駅はまだ比較的余裕あり。
10分程度待つと電車が来た。 混雑はしていたが、乗れない事はない。
ちょっとほっとする。
しかし地下鉄がすぐに出発しない。
前の駅で電車が停車していて、動けないらしい。
十数分またされてようやく発車。

次の駅についても、すぐには発車できず。その都度停止。
結局、五反田に到着したのは待機所を出て約3時間後のAM10時頃だった。

五反田から大崎まで一駅。
歩こうかどうしようか迷ったが、さすがにちょっと疲れたのと
山手線、品川方面行きの列車が復活していたのがわかったので
JRを選択した。
山手線に乗車出来たもののなかなか発車しない。
15分近く停車していて、やっと発車出来るとアナウンスをした車掌さん(女性)
もうれしそうな声で「お待たせしました!やっと発車できます♪」と声を出していた
ので社内もちょっと和んだ雰囲気になった。

やっとの思いで大崎に到着。そして荷物を回収。 よかった。
そういえば朝ごはんを食べていなかったので、どこかお店に入ろうと
思ったが、飲食店は軒並み閉店。 がっかり・・・。
空いていた薬局でカロリーメイトとCCレモンを購入した。

で、電車に乗りにホームに下りたらまだ乗ってきた電車が停車していた。
ここでもしばらく待たされてようやく発車。 やっとの思いで品川に到着。
品川駅構内は長蛇の列、ホームへの入場規制がされていた。
やはりまだ混乱していた。

普通なら20分で移動出来るところが、
今朝、待合所を出て、約4時間が経ったAM11時の事だった。


今回都内はJRが止まるとかなり混乱する事がわかった。
地下鉄は比較的早くに復旧し、歩き&乗る継ぎでそれなりに
移動できる事がわかった。
しかし乗客はみんな疲れていただろうと想像できるのに
みんな落ち着いていて、変な混乱が全く見受けられなかったので
日本人はやっぱすごいのでは?!っとちょっと感心した。


新幹線は予約していたのでスムーズに乗車。
運転も通常通りだった。  
大阪に着いたときはあまりにも普通の日常だったので逆に違和感を感じた
ぐらいだった。
自宅に着いたのはPM3時30頃。 8時間以上かかってようやく家に到着。
イズミソの顔をみてほっとしたhappy01

そして長い1日が終わった。 爆睡sleepy

それはそれは大変な1日でしたが、被災地を思えばこれぐらい
全然大したことないですね。
今回の東日本太平洋沖地震とそれに伴う津波によってお亡くなりになった方の
ご冥福を祈るとともに、被災された方が一日でも早く元の落ち着いた
生活を取り戻せるよう願いたいと思います。


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出張難民となった長い1日②

地震が起こってしばらくはケータイの通話とネットは
ほとんど機能しなかった。 (ネットを過信しちゃダメですね)
そこで活躍したのがワンセグ。
ワンセグテレビからの情報で、巨大地震の情報を知ったし、
鉄道が止まった事も知った。
普段あまり使わないワンセグは今回大活躍だった。

その後、しばらくするとネットが安定してきた。
そこで活躍したのがTwitter
周りからピンポイントの情報を刻々と得る事が出来たし、
こちらから発信出来た事は大きかった。
Twitterを通じて、色々と情報を送って皆様、この場借りてお礼致します。

途中、ケータイの電池が持たないな~っと思い、
慌ててコンビニに乾電池で充電できる充電器と電池を購入。
これも今回大いに役立った。  いい教訓だ。

この日、当初は大学時代の友人と飲みに行こうと
待ち合わせをしていた。
何回電話をかけても、発信出来ず。(発信規制がされていた為)
しかしその友人からも何回も電話をかけてくれていて、
何十回目かでやっとつながったらしい。 
とりあえずお互いの無事を確認。
鉄道系が動かなくなった事でその友人の会社では移動が制限されたようで、
会社に泊る事になったそうだ。


その日、ホテルの待機所で一夜を過ごす事になった。
暖も取れるし、トイレもあるし、待機所としてはかなり恵まれていたが
やはりほとんど眠れなかった。
その夜、東京でも何度か体に感じられる地震が起こった。
(多分、震度1~3ぐらい)
あと、気持ち悪かったのはケータイの緊急地震速報のアラーム。
ホテルの待機所には100人以上が待機していた。
そのうちの何台かのケータイから同時に発信されるあのアラーム音。
地震のアラームだからしょうがないと言えば、しょうがないがかなり
気持ちが悪かったのは確かだ。

災害の現地はもっと大変なんだろうな~
こっちはまだいいほうだ!と思いながら、夜明けを待った。

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出張難民となった長い1日①

それはそれは長い1日の始まりでした。

11日金曜日、久々の東京出張という事で
毎年恒例、流通情報システムの総合展示会「リテールテック2011
に行って来ました。

会場が東京ビックサイトだったので、品川で新幹線を降り、
大崎のコインロッカーに荷物を降ろし、現地に向かいました。
これが後々、大きな影響を及ぼそうとは・・・weep

各メーカーの出展ブースを見学し、ちょっと休憩しようかな~っと
思ったちょうど14時46分。
一瞬、「めまい?」と思いましたが、ぐらぐらぐらっと。 「おお~地震だ!」
と最初は「また地震か~」っと思った程度が、一向に揺れが収まらず、
しかもどんどん揺れが激しくなって・・・。
3分以上は揺れていたのではないでしょうか?
数千人近く集まっていた会場も一瞬パニックになりかけましたが、
コンパニオンの方の「落ち着いてください! 地震は必ずおさまります」の
アナウンスでお客さんも落ち着き、事なきを得ました。

しかし揺れはかなり大きく、
天井の照明はぐらぐら揺れるし、シャッターも揺れて、バンバン音はなるし。
近所で火災は起きるは、余震は起きるはで、こりゃただ事じゃないぞ!
とネットで調べてみるも、すでにつながらず・・・。
ワンセグに切り替えて情報収集したら、東北地方では大変な事に・・・。
津波の映像をみて、東京もやばいんじゃない?っと声が上がった程でした。

結局、イベントは即刻中止。
しょうがないから帰ろうと思ったら、
既に「ゆりかもめ」と「りんかい線」が運行停止。
バスに乗って帰ろうと思ったら、長蛇の列。
1時間近く並らんだバス停にはもうバスが来ないことが判明。 
「な、なんだと!!」

で、警察の誘導で別のバス停に向かうも、さらに大行列。
またまた2時間近く並んでそろそろバスに乗れるかな~っと思ったら、
なんとJR線が全線運行停止を決定。
「ダメだ こりゃ!」と早々に諦め、ご飯を食べに行こうと
周辺の店を探しましたが、既に閉店。
陸の孤島、東京ビックサイトで出張難民になってしまいました。

途中、他部の部長2名と合流。
さらに偶然、中国支社の部長が有明ワシントンホテルの
待機場所を確保している事が判明。
その待機所に合流することになり、そこで一夜を過ごす事になった。

コンビニで物資を調達しようとしたが、ここでも大行列。
しかも既にお弁当、パンなどの食材は売り切れ。
残念ながら、お菓子系しか残っていなかったので、
とりあえずお腹に貯まりそうなモノと水分を購入した。

待機所に合流。 
「ほぉ~ やっと休憩できる・・・」
暖を確保でき、テレビ(情報)、トイレ、電源、椅子、テーブル
を確保してくれたその部長に感謝です。
もちろんその場所を提供してくれた有明ワシントンホテルには
大感謝です。 
いつか宿泊しに行こうと思います。


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2011/03/07

医療費と介護

母の病気の事をブログに書いた理由がもう1つあります。
それは医療費と介護について思うことがあったからです。

母の場合は「多系統委縮症」という難病認定を受けれたので、
治療費が公費支給され医療費の負担が大幅に軽減されました。
ベット代やその他諸々の費用としてそれなりの金額がかかっていましたが、
公費認定されるのとされないのとは天と地との差でした。
(危篤状態に陥った時、ICU1カ月の入院費が120万円に対して
実際の請求額は¥87だった・・・と2007年6月に記載していました)

もしパーキンソン病という診断のまま、あのような状態に陥ったとしたら
多分、病院で最後まで丁寧なケアをしてもらえなかっただろうと思います。
また金銭的にどうにもならなくなり、もし自宅介護になったとしたら、
介護をしていた父や妹の方の体が持たなかったかもしれません。
その場合、最悪は私が会社を辞めてでもなんとかしなければならなかった
かもしれない可能性があったわけです。 ある意味トム家破綻の危機でした。

ちゃんとこの病気を診断してくれたS先生には感謝しなければなりません。

先日、カンブリア宮殿という番組で脳神経外科の上山先生を特集していました。
その番組の中で高騰する医療費について、いくつか提言されていました。

超高齢化時代に突入し、景気回復も見込めないまま財政が悪化していく日本。
そんな中なんとか医療費を圧縮したいと考える行政。
しかし医療技術の進歩に伴い、現実はどんどんと医療費が高騰していく。
近い将来、お金持ちしか充分な医療を受けられない時代になっていくのではないか?
番組の中ではそのような事が提言されていました。

国の事情もよくわかります。 
このまま医療費が高騰していけば、ただでさえやばい国の財政が益々悪化の
一途を辿る・・・というのは誰が考えてもわかる事でしょう。

しかし各現場が抱える「介護」という現実問題はかなり深刻です。
私自身が母の介護をしていたわけではないので、偉そうな事は
言えませんが、近くにいた者として「介護」は相当な重労働だという事が
簡単に理解できます。
私が父のように母を介護出来たかと言われると正直自信がありません。
しかも24時間、そしていつ終わるかもわからないなんて・・・。

ある時、父が「夜中に母の寝息が聞こえないと息が止まったのかと思って
ドキッするよ」という事を聞いた時、これは正直やばいと思いました。
その時初めて、父は普段夜あまり寝れていないという事を知りました。

その後、母の体力がさらに低下してきたので、
嫌がっていた母にお願いして入院してもらいました。
結局、母を退院させる事が出来なかったので、この入院がよかったのかどうか
未だに悩む事もありますが、少なくとも父や妹の介護作業が軽減された事は
よかった事でした。 


しかし公的援助がなければ、約4年もの間、行き届いた介護を継続する事は
出来なかったと思います。 
極論を言えば、生きていればいるほどに家族の負担になってしまう。
しかしそれは何かおかしい。
これが今の日本の医療と介護の現状なのか・・・。
なんとかならないのか・・・。
正直やるせない思いがしました。

今の国の政策を見てみると、どうも色々な予算が削減されていく傾向です。
現状を考えるとそれはそれでしかたのない事かもしれませんが、
しかし命にかかわるような部分をないがしろにするような政策だけは
絶対あってはならないと思います。

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2011/03/05

多系統委縮症 という病

この件をブログに書くべきかどうかとても悩みました。
ただ色々な思いもあるのでブログに公表する事にしました。
もしかしたら突然削除するかもしれませんが、ご了承ください。


母は「多系統委縮症」という病気でした。
しかしこの病名と診断されるまでに実に数年の時間がかかりました。


今から約8年ぐらい前。
当時、母はまだ婦人服のお店で働いていました。
(母曰く、トップセールスだったそうです♪)
親戚の結婚式で着物を着ようとしていたところ
何故か着付けがうまくいかない、帯がうまく結べない。
なんかおかしいな~ 最初はそんな感じだったそうです。

それからしばらくすると動作が少し緩慢になったり、指先がなんとなく動かしにくく
なったり。まだそんな程度の不具合だったのですが、どうも全身あちこちが痛い
体調もおかしいという事になり、病院に診察してもらいました。
いくつかの病院に通ったのですが、原因がわかりません。
加齢による体調の不具合かとも思っていましたが、どうもおかしい??
さらに色々な病院に診てもらいますが、全然原因がわからず。
ついには精神病の病院にまで行ったみたそうです。
(そこでも異常ありませんでした)


1年以上たったある日、とある整形外科でちょっとつまずくような動作を
みせたので、そこの先生がもしかしたら??という事で、最後にお世話になった
病院のパーキンソン病専門のS先生を紹介されました。 
そこでやっと「パーキンソン病」という診断を下されました。

パーキンソン病はボクシングのモハメド・アリや俳優のマイケル・J・フォックスが
かかっている病気ですので、ご存知の方も多いかもしれません。
症状はマイケル・J・フォックスの著書「ラッキーマン」にも書かれてますように、
手足が震える、動作が緩慢になる、筋肉が硬直する、歩行がしづらくなる、
言語障害が出る、等の症状が出る病気です。 
現時点ではまだ完治はしないようですが、薬をうまく服用出来れば不具合はある
ものの支援すれば日常生活は出来る、そのような病気だと認識していました。


当時まだそこまでひどい症状ではなかったですし、すぐ死に直結するような病気
でもないと思っていたので、とりあえず「病気の内容がわかってよかったね」
「仕事も辞めて、ゆっくりしようよ」それぐらいの感覚だったと思います。

最初の頃は、薬も効いていて、すごく楽になったようだったので安心していたの
ですが、しばらくすると薬がほとんど効かなくなりました。
そもそもパーキンソン病自体、原因が特定されていない為、明確な治療法が
まだ確立されていないようで、薬による対処療法で対応していました。
しかしどの薬を試しても、よくなるどころか悪くなる一方。
久しぶりに母の姿を見たときに、半年ぐらいで一気におばあちゃんのように
なったのを見てびっくりした事を記憶しています。
当時は近所の病院に通って治療していたのですが、どうにもならなくなって
パーキンソン病と診断してくれたS先生のところに行くことになりました。

久しぶりに母の姿を見たS先生もびっくり!
あまりにも症状が悪化していた為、すぐさま再診断となり
どうもパーキンソン病ではなく、症状や進行状況から判断して「多系統委縮症」
という診断を下されました。
母が意識不明の状態になる約半年前ぐらいの事でした。


「多系統委縮症」という病気は10万人に1人程度しか患者さんがいない
公費対象の難病です。
原因もわかっておらず、治療法も確立されておりません。
パーキンソン病とよく似ている為、見分けがつきにくいそうで、
症状としては、パーキンソン病に似た症状、起立性低血圧、呼吸障害
睡眠時無呼吸、食べ物をうまく飲み込めない等の症状がみられるようです。
ただ病気の進行がパーキンソン病よりは早いそうです。
当時、「パーキンソンより重たい病気なのか・・・」と言う感じで
いわゆるドラマであるようなガンを宣告された時ような悲壮感はありませんでした。


今回「多系統委縮症」の件をブログに書こうと思った理由の1つは
全国で1000~2000人ぐらいしか患者さんがいないはずなのに、
Googleなどで検索をかけると9万件近くアイテムがヒットします。
症状に関する記事の他に、闘病生活や介護の内容を記載したブログやHP
をすぐに見つけることが出来ました。
かなり内容を克明に報告されているブログもあり、私自身もこのような
ブログやHP等から「多系統委縮症」に関する知識を得ました。
(もちろん主治医の先生にも何度も話を聞きました)
知識を得たところで、何も解決はしませんでしたが、
「多系統委縮症という病気がどういうものなのか」という事がわかりましたし
またこういう状況は「自分達だけじゃないんだ!」
そういう事がわかっただけでも、プラスになったので、
どこかの誰かがこのエントリーを読んで、何かの参考になればと思い、
このブログに書くことを思いついた次第です。

この本を読んでマイケル・J・フォックスを応援したくなりました。

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